学習塾noticeを設立した経緯

1.高校卒業まで

高校生まで私は何も将来のことを考えずに過ごしていました。
中学校までは勉強ができた方だったので兄と同じ進学校に進み、
東京6大学のどこかに進学できればいいかな、
ぐらいにしか思っていませんでした。
しかし大学受験はそんなに甘いものではなく、
現役の時はすべて受験に失敗して浪人することに。
とりあえず父親が電力関係の会社に勤めていたこともあり、
理系に進学すると考えていました。

2.浪人を埼玉の大手予備校で過ごす日々

兄が進学で埼玉に住んでいることもあり、
そこに住まわせてもらっている間に大宮にもある大手予備校で
1年間受験勉強をすることになりました。
初めは予備校の精鋭講師の講義に感動し、
頑張れば第一志望に合格できるかも!と思い勉強していました。
でも頑張ってもなかなか成績は伸びず、段々焦りが募っていく…。
時が経ち、いざセンター試験を受けました。
が、自己採点の結果、ボロボロ…。
元々私立が第一志望だったので挽回は出来ましたが、気持ちは折れたまま。。
そんな折に、予備校で出逢った尊敬している英語のО先生の
授業を受けていた時のことでした。

3.私の人生を変えてくれたO先生との出逢い

このО先生は通常授業で担当していただく機会がなく、
最上位クラスの生徒しか受けられませんでした。
ただ夏期講習など季節講習の時だけは
自分で好きな講座を受けることができるため、
初めて受けてみて「何て雑談が面白い先生なんだ!」と思いました。
もちろん講義の内容も素晴らしかったのですが、
笑い話もためになる話も全てが面白かった。
今まで受けた先生方の授業も楽しかったのですが、
O先生はまた別の感動がありました。
センター試験後の特別講座も参加していました。

その特別講座でO先生がいつものように
雑談をしていた時でした。

「人間、年を取ると怖くなることって何だと思う?」

しばらく考えてみましたが、よく分からないまま、
O先生が言いました。

「それは、頭が固くなることだよね」

『……あ、これって自分のことだ』

4.初めての感覚

それに気付いてから、
今までの自分は何だったんだろう。
何のために勉強してきたんだろう。
自分の進路はこれでいいのか?
本当に心から自分で納得した道を歩んでいるのか?
自分のやってきたことに対して虚しさがこみ上げてきました。

私の父親には学歴コンプレックスがありました。
自分の息子には自分よりも良い大学に進学してほしい。
お前は慶応に行け!と常に言われていましたが、
当の本人(私)はそこまで強い意志があったわけではなく、
先程述べたように行けたらいいな、ぐらい。
ただ、私は親は好きでしたので、
父親を喜ばせるために頑張っていた
(O先生の話で自分の現状に気付き、
カウンセリングのH先生に相談に行ったとき、
言われて初めてそのことに気付かされる)
ようでしたが、それだけでは足りなかった。

―自分の目的意識が、足りなかった―

センター以降の私立入試ラッシュまで、
勉強にまったく身が入らない。
自分に対する虚しさに支配され、
何も手が付かない。
入試が終わるまで全く勉強できませんでした。
ただ、志望校の中でも下位2つは受かる可能性はありましたが
受かっても親には不合格だったことにしてしまおうかな…、
志望も理系で本当に良いのか考えなおして、
もう1度やり直した方が良いかな…、
とさえ思いました。

5.不本意な受験結果

ただ、この浪人生活から解放されたい気持ちが勝り
第4・5志望に何とか引っかかったため、
そんなことは考えずに直ぐに報告してしまいました。
もう一つ足りなかったもの。

―それは勉強嫌いを克服する努力が足りなかった―

この2つが足りていれば、自分の人生は全く別のものになっていたかもしれない。
こんな思いはもう、したくない。

この時に「気付く」重要性に気付きました。