塾講師を目指す原点

前回の記事(塾講師を目指す前(中学生~浪人時代篇))で高校時代までの私自身の高校時代までの様子をお話ししました。ちなみに現役の時の大学受験は当然全敗。。努力していなかったから当たり前の結果ではありましたが…。浪人することになり、当時兄が住んでいた埼玉で浪人生活を始めることになりました。 

予備校で感じたこと

予備校の授業は、率直にとても楽しいものでした。何故なら大手予備校の講師だけあって授業内容がとても分かりやすかったから。勉強が嫌いだった自分でも分かるとこんなに楽しいんだ!と気づいた瞬間でもありました。ただ、これが後々大きな罠に自らハマることになります。(詳細は後述)その1年は兄の家から電車で30分ほどの場所にある予備校に行き、朝から晩まで勉強して帰る生活でした。(今思うとゾッとする生活でしたね(笑))でもここでも昔ながらの我流の勉強方法が邪魔することになります。相変わらず量で何とかしようとしていたやり方で自身の現状と合っていない進め方、別の言い方をすれば基礎が何かを理解していないまま、ゴリ押ししてました。当然それでは成績は伸びず、6月にあった模試では物理が0点だったという惨状…(/_;)早く気づけよ、当時の自分(笑)それでもまだ量が足りないんだと勉強しますが、やっぱり出来ない。授業で分かっているけど何故出来ないんだろう。そういう思いはありましたが振り返ることなく、無理やり進めていました。さらに質の悪かったことは、途中で少し英語の成績が上がってきたことでした。成果が出るとこの方法で大丈夫!と自分に言い聞かせ、また進める。普通であれば成績が伸びることは良いことではありますが、当時の自分にとっては本質から目を逸らすことになってしまいました。だから、第一志望は当然E判定のまま。結局最後の模試の判定でもE判定でした(進学した大学は最高で何とかC判定でした)この伸びのペースでは届かなくて然るべきだな、今振り返ると思います。先述した罠に自らハマったとは「解ける」と「分かる」を勘違いしていたこと。予備校の講師は授業力が高いため、難解な問題でも授業を受けていると分かった気がします。ですが、自分で解き直しを行うと全然解けない。2つの間には大きなギャップがあったことを、今になって気づきました。(そもそも自分のせいだから罠にハマるもへったくれもないのですが(笑))その分からないところの何が原因だったのか、分析することを当時の自分は疎かにしていました。時は過ぎ、この状態で挑んだ2回目のセンター試験も撃沈。。英語はこの年前年よりも易化したこともあり自己ベストを更新したものの、さすがに気落ちしました。そこで尊敬する英語の先生からの言葉で自分が変わるきっかけをいただきました。 

予備校の1年を経て 

自分が何も考えていなかったことに気づけたことが何より、一番大きい財産になっています。しかし受験では7校中2校しか合格できませんでした。もう一度浪人しようかと頭を過りましたが、もう勉強したくない思いが強かったためそのまま進学しました。そこから学んだことをまとめると以下のようになります。 

1.「解ける」と「分かる」は別物と認識 

2.解けない原因を受け入れ、理解し、対応する 

1を防ぐためには、解答で躓いたところを徹底的に洗い出すことが重要です。学校や塾の授業であれば授業中の解説内容に対して行います。数学なら公式を覚えていなかったのか、立式で誤ったのか、計算力が足りなかったのか、問題文の用語を捉え違えたのか、事細かに自己分析します。同時に授業で分かったと思っている内容でも解き直してみると解答が書けないこともよくあります。そのギャップはどの科目でも起こりうることを基本として考えます。また、どの科目においても「何故?」の意識を常に持ち絶えず自問自答することが大切です。授業で受けたことは受動的でインプットする学習タイプ、自分で解き直すことは能動的でアウトプットする学習タイプであり、交互に進めることも大切です。 

2は1で述べた作業を行った後になります。こちらは自分自身の気持ちの持ち方や考え方によるところがあります。よく数学であるのが、これは計算ミスだからケアレスミスなので大丈夫、と高を括ってしまうことです。気持ちは分かりますが計算ミスも立派なミスです。ここで大事なことが、自分はそれが癖としてよくしてしまうから、直す意識を持とうとすることです。ケアレスミスと言えばうっかりミスだから仕方ないよね、という意識ではなかなか計算ミスは直りません。自分自身も計算ミスが多かった方でした。いつからかは忘れましたが、それを受け入れ解き終わった後に本当に合っているのか?どこかミスをしていないか?と自分の癖を受け入れた上で意識をすると改善することが出来ました。そこを受け入れ、意識して、行動することで次に繋がっていきます。 

まとめ 

分かったつもりをなくすためには、実際に自分の手で解いてみること。解いてみることで分かったつもりを防げます。そのためには自分の癖を把握し、受け入れて対応することが大切です。 

塾講師を目指す前(中学生~浪人時代篇)

学習塾noticeを設立した経緯や自己紹介でお話もしましたが、今回はもう少し詳細に当時の自分を振り返ってみて、どういう塾にしたいのかをお伝えしたいと思います。ただ、その前に今回は中学生時代~浪人時代の私自身の勉強の取り組み方についてお話しさせていただきたいと思います。

そもそも、ゆくゆくは通用しない自分なりの学習方法だった

中学校までは成績が良かったものの、高校からはすぐに成績不振に。進学校だったとは言ってもずっとビリとか、常にワースト10位キープとかではありませんでした。大体下位30%を行ったり来たりという感じです。中2から一番得意としていた数学も高校1年まではそこそこでしたが、高校2年から他の科目と同じようにみるみる成績が下降…(;´Д`)いよいよ何も武器がない状態に(´;ω;`)ウゥゥ

でも、それはそうでしたね。何故なら何も考えていなかったから。こう聞くと、じゃあなんで中学校までは成績が良かったのか?という疑問を持った方もいると思います。それは比較的自信のあった丸暗記力と数をこなす学習に頼っていたからです。どれぐらい自信のあった記憶力かというと、小学校の頃からデスクマットが世界地図だった(小学校1年生の時に買ってもらった机だから、その当時の流行りのアニメキャラクターとか付いていることが普通だと思うけど、なんでだろう(‘ω’))こともあり、中学生で通っていた塾の社会の授業時に行われた世界国名テストだけはいつも一番でした。しかもやたらヨーロッパとアフリカ大陸の国名を全部覚える(笑)というぐらい、一応は自信がありました。

また数をこなすといっても勉強嫌いだったこともあり、中学校からは正直大した量ではなく塾で出された宿題をこなす、学校の課題や宿題をこなすといった受動的な学習のみでした。もう少し細かく言えば、何故この問題ではこの解法を使うのかといった本質的な部分と向き合うこともなく、ただパターンとして解いて誤魔化していた学習方法でした。これもいわば丸暗記に頼った学習方法でした。そのため得意だった数学でも、用語の深い理解や何故その状況でこの立式が出来るのかの理解までは出来ていませんでした。そして高校では塾に通っていなかったこともあり、やはり通用しませんでした。ちなみに通わなかった理由は中学校の時に通っていた塾の副塾長が「沖縄の高校生対象とした塾はいいとこないから、自分で勉強した方がいいよ」と言ってたことを都合よく呑み込み、勉強したくないがために通わないという選択をしたためです(笑)いや、ホントに現実逃避してましたね…( ゚Д゚)(当時からももちろん良い塾は沢山あったと思いますが、塾に通わず勉強から逃避する免罪符にしていました)

そうすると、通用する学習方法って?

改めて振り返ると、逆に次の2点を押さえた学習方法が大事だと考えます。

1.丸暗記に頼らない

2.量だけに頼らない

1は好きな科目であればある程度通用すると思います。ですが、覚える量も増えてくる高校からの内容は好きな科目であればまだ良いですが、苦手科目に関しては限界があります。例えば高校の歴史について。大学受験に必要な項目の知識で、世界史は4000語、日本史だと6000語に及ぶとも言われます。歴史が苦手だった自分にとってはゾッとするする数です(笑)そのため歴史の場合だと出来事に対する背景や理解、そして出来事が起こる流れの把握が必要になります。

もちろん、上記は歴史のことに限った場合ではなく数学でも同様です。

例えば高校で数学Bにベクトルという単元があります。(数学苦手な方も読んでいただけると幸いです(;^ω^))

例題:△ABCの内部に点Pがあり、6(PA)⃗+3(PB)⃗+2(PC)⃗=0を満たしている。点Pはどのような位置にあるか(表記上アルファベット後の矢印がずれてしまっていますが、本来矢印はアルファベットの上に書きます)

[類 名古屋市大]

(チャート式 基礎からの数学Ⅱ+B:数研出版より抜粋)

 

丸暗記で解くなら、(PA)⃗、(PB)⃗、(PC)⃗を△ABCのいずれかの頂点に始点をそろえて解く、ということを覚えていれば解けます。この問題を解くだけならそれで良いのですが、この問題を元に応用問題を解くこともあります。ここで大事なのが、何故△ABCのいずれかの頂点に始点をそろえないといけないのか、という理由まで理解しておく必要があります。記憶は多くの事柄(理解した内容も含めて)を覚えておいた方が残りやすいことが判明しています。(記憶についてはいずれ別の記事でお話しします)一つ私自身の経験を重ねてお話しすると、人の名前と顔を覚えるのも比較的得意なのですが、その際にその人の趣味・部活・出身なども一緒に覚えるようにしています。最初から全て覚えていなくても、断片的に思い出していけて名前を思い出していました。

2は浪人時代に痛感しましたが、とにかく問題を解くということをしていました。理系だったこともあり数学の計算問題は基本毎日やっていました。ただ今思うとその方法に逃げていたとも言えます。理解できない問題はとにかく繰り返し解いて解く流れを丸暗記する、そうすればいずれは解けるようになる、といった無策なやり方・考え方でした。このときにも上述したように何故そうなるのか?といった自分なりの問いを立ててそこを解決するという自分自身と向き合ったことを避けた学習方法でした。逆にそれをしていたら、もしかたら第一志望に合格していたかもしれませんね。もちろん、量をこなすことは必要で大切なことです。逆に計算をいつもやっていたお陰で計算力は多少今でも生きている部分はあるな、と生徒と授業をしているときに感じることはあります。(それでももっと伸ばしたいという思いはありますが)でもやってもなかなか成績が伸びないということであれば、ここを見直す必要があるかもしれません。また同時に常日頃から自分に問いを立てるということも必要だったな、とも思っています。当時はよく、とぅるばって(方言でボーっとする)ました(笑)それも今では勿体なかったな、と感じています。なんで車用の信号機の色は右側が赤なんだろう、なんで山手線は新宿→池袋方面を外回りと呼ぶんだろう、とか別に直接勉強と関係のない内容でもいいです。また、答えを必ず出す必要もないです。ただ、調べて答えを探せるものは出来るだけ調べた方が良いです。大事なのはその問いに対して答えを見つけることではなく、日頃から自分に対して問いを立てることです。考える癖をつけないとその先に行くことは難しいな、と思い知らされました。

まとめ

丸暗記・量だけに頼るのではなく、自分の中で問いを立てるということが重要です。暗記力に特に秀でていれば良いですが、得意科目であってもなかなか難しいな、または苦手科目に対しては頭に入ってこない、という場合は自分自身で考えることをしてみましょう。次回はこの話を踏まえて改めて私が塾講師をしている理由をお話ししたいと思います。

子供の好きなことを学習の素地に活かす4つのポイント

前回は恐縮ながら私の当時の趣味について書きました。今回はそれに加えてお子さん各自の好きなことについてお話ししたいと思います。

好きなことに結果を求めない

結果は大切です。やるからには他の人より優れたいという気持ちも大事ですが、それ以上に大切なのは行動です。趣味を始めるのは誰かからきっかけを与えてもらうこともありますが、趣味を続けるのは誰からも催促されなくても続けます。ましてや好きでやっていることに対して「下手の横好きだね」って言われたら、保護者も嫌ですよね(笑)

また同時に大切なのが、子供の好きなことを否定しないことです。これは上記にもあるように、やはり好きなことを否定されるのは大人子供問わず人は良い気分はしません。別の表現をすれば、子供の好きなことを受け入れることです。

ふと思えば、子供が生まれていつから数値で評価するようになってしまったのか?別に数値化することは個人的に肯定派ですが、問題はその数値の捉え方にあるかと思います。もちろんお子さんの将来を案じるのは当然ではありますが、いつしか数値だけでお子さんを評価してしまうことはありませんか?テストの点数、通知表の素点、偏差値など。高いことに越したことはありませんが、その数値だけで評価される側の気持ちはどうでしょう?精神的に強い人はそれに対して立ち向かうこともできますが、誰しもそうではありません。点数や成績は現状を数値化したに過ぎない。未来に対する指標です。ですので成績が悪くても咎めるのではなく、何が分からなかったからできなかったのか?その原因を分析するための資料と捉えてください。

好きなことは直接勉強に関係なくても良い

前回の記事で私の当時の趣味が地図帳を眺めるというのがありました。ただ、直接勉強に関する内容を含む趣味はこれぐらいでした。それでも内容はともあれ今に繋がる力は趣味から出来ている部分もあると実感しています。どちらかと言うと音楽や美術、スポーツなど学校の科目で言う技能科目に関することも良いと思います。

と言うのも、中学校までは主要5科目+技能強化4科目と小学校でもその科目の基礎を習います。それを何故扱うのか、個人的な見解ですが多様な物事に対する感覚を鈍らせないため、別の言い方をすれば一つの物事に偏った考え方を持たないようにするためだと考えています。物事は意外なところで繋がっています。身近な例で挙げると、あなたの友人であるAさんとBさんが実は友人同士だったり。科目でも言語であれば英語と国語、科学でいえば数学と理科など。要は他のジャンルから異なった視点を得ることでより深化した理解を得られることがある、ということです。

何に関心が向くのか親の方から提示する

お子さんがハマるものはありますか?あればさておき、なければ今から見つけてみることも良いかもしれません。もちろん好きなことが具体的に見つからなかったとしても、好きなものでも良いです。例えばテレビ番組や食べ物など。

何に関心を示すのか?それは何故なのか?ということを考えてみてください。それが直接勉強に直結するものでなくても構いません。重要なのは、物事に対する関心を育てることにあります。加えてお子さんがしたいことは止めないで見守っていてください。子供が受動的になりやすいのは逆に親が手取り足取り何でもやってしまう可能性があります。不安だからついフォローしたくなると思いますが、最低限にとどめておいた方が本人のためです。私も元々は受動的なタイプでした。

また、成績の上がりやすい生徒の特長の一つとして、人目を気にせずハマれるものがある生徒は成績が伸びやすいという傾向があります。たとえ今は勉強が嫌いでもハマることで集中力が磨かれ、それを学習にも生かせるようにしていけば良いです。むしろ好きなことがない極端に言うと何事にも関心がない、という生徒は成績が伸びにくい傾向にあります。

趣味のことを様々な観点で尋ねる

趣味がすでにあるお子さんに対しては、こちらを特に試みてみるといいです。どうして好きなのか?何が好きなのか?どこが楽しいのか?と聞いてみること。日頃の会話のネタにするのも良いと思います。好きなことについて聞いているときは、頷いて受け入れている姿勢をお子さんに伝わるように対応してください。決して否定はしないでください。こちらも上記と同じように物事に対する関心を育てることです。

まとめ

ここではお子さんの学習の土台に繋がるような視点や接し方についてお話ししました。好きなことに共通するのは、やってて楽しいこと。同時に自分なりの楽しみを見つけています。言葉でうまく説明できなくても、その気持ちがあれば人は変わる可能性が高まります。

好きこそものの上手なれ

さて、何をやってみようかな?

子供の趣味を勉強に活かすポイント(山城ver)

あなたのお子さんはどんなことが好きですか?

将来はプロ野球選手になってほしいから、リトルリーグで野球をさせたい!

将来は医者になってほしいから、今から勉強させるために塾や英会話教室など習い事をいっぱいさせたい!

わが子に対する期待は、親の楽しみの一つだと思います。

 

とは言ったものの、思い通りにいかないのは世の常ですよね(;^ω^)

私も子供の頃からゲームが好きで、遊んでばかりでよく親に怒られていました(苦笑)でも、くじけない()

 

それでも私が好きだったものが、どのように今繋がっているかをお話ししたいと思います。

正確に言うと当時はそこまで考えていません。その時にこういう考え方を持てていれば、もっと活用できたかなと思うことを書きたいと思います。

ゲーム

これは現代っ子なら言わずもがなでしょう。私の時代はスーパーファミコンが普及してプレイステーションを小学校卒業ぐらいに買ってもらいました。小学校時代はファミコンしか持っておらず、友達の持っていた次世代機種が羨ましいのなんのって…(*´Д`)買ってもらった後は高揚感が爆発して、それは遊びまくりますよね()

ちなみに私が主に好きなゲームがドラゴンクエスト、ファイナルファンタジーといったロールプレイング(RPG)系、ファイアーエムブレムというシミュレーションRPG系、チョロQといったレース系、パワフルプロ野球といったスポーツ系などです。前述の2つはシナリオ性やストーリー性、後述2つは競争性をテーマにしています。

 

これを元に、前述2つからは役割分担の重要性を学びました。力が強いキャラだけでも勝てないし、魔法が使えるキャラだけでもうまく進まない。それぞれには任された役割があり、それを全うする大切さを学びました。延いては社会に出てからもその考え方や感覚は活きています。後述2つからは負けず嫌いが養われました。相手よりも上を行きたい、自分の力で伸し上がる心構えを教えてもらいました。(その時に前述2つのストーリー性から歴史から学ぶ姿勢も形成できればよかったのですが、当時はゲームすること自体が目的でストーリーの良さとかそっちのけでした()

マンガ

ドラゴンボール、ダイの大冒険などゲームと似たタイプも読みましたがここで挙げるのは金田一少年の事件簿です。どうやって犯人は被害者を殺害したのか?そのトリックは?トリックを利用するのに使用するアイテムの調達方法は?その動機は?などなど、1つの事件を比較的ゆっくりした進度で進むかつ理解できるため、考える力やその繋がりの凄さを感じました。

これは数学を解く際の、解答の流れを理解する部分は当時でも役に立っていたと感じていました。(余談ですが私の理解力がないせいか、名探偵コナンは読んでいて話の展開も早くトリックが良く理解できない状態が続いたため、32巻ぐらいで断念しました)

地図

これは自分の学習机にあるデスクマットが、普通の世界地図でした()小学校低学年に買ってもらう机なので、当時の流行りもののキャラクターが描かれたデスクマットもあると思いますが、私の場合は何故か地図でした。ただ、これが良かった。他でも述べましたが、私はこの仕事を始めるまで基本的に勉強嫌いでした。小学生の頃に親から勉強するよう促され、机に座るものの、まあ集中力のないこと()よく問題集を閉じてはデスクマットの地図を眺めていました。

そうすると中学校1年の最初の地理の授業で、世界の国名テストがあった時のこと。とにかく知っている国の名前を書けるだけ書きなさい、という内容でした。そのテストの対策は全くしていなかったものの、名前だけで80か国ぐらいはすでに覚えていました。また、当時私が通っていた進学塾でも白地図を元に世界の国名テストがありました。そこはデキる人たちばかり(後に東大や京大へ進学した人も)で、何か一つでもいいから負けないものが欲しいな、となった時にこれが活きました。他の科目やテストはそうでもないものの、これだけは無双。一時期は180か国ぐらい無駄に覚えていた時期もありました()とにかく、記憶力が磨かれました。

まとめ

今回は恐縮ながら私の当時の趣味の話をさせていただきました。趣味の内容が直接活きるかどうかは好きになるもの次第ですが、好きなものに驀進する力は今後もどこかで必ず生きてきます。たとえそれがどんなに勉強に直接関係のないものだったとしても、それが勉強とどう繋げられるのか?ということを考えていくことが大事だと思います。趣味で前に進む経験をして、それをほかの分野でも前に進む原動力に転換していけば生きていきます。

やる気が湧いてくる3つのステップ

遅くなりましたが

新年明けましておめでとうございます。

 

令和最初の正月を迎え、

気持ちを新たに目標を立て

やる気に満ち溢れているかと思います。

 

「今年は10㎏痩せるぞ!」

『苦手な数学を克服して90点以上取るぞ!』などなど。

 

……でも、

難しいものでこのやる気、なかなか続きませんよね(;´Д`)

 

「ダイエットするといったけど、目の前のエクレアが…(;^ω^)」

『数学頑張るって言ったけど、明日からにしよ~(*´ω`)』

 

時は経ち、2020年も年の瀬。

「…あれ?今年何㎏痩せるって言ってたっけ?むしろ増えて…( ;∀;)」

『前回のテストも40点台だった。ドイヒー…(/_;)』

 

悲しいとき~(;_;)

 

そんなやる気に関して、今回はお話したいと思います。

やる気とは?

わざわざ辞書を引くことではないかもしれませんが、広辞苑によると「物事を積極的に進めようとする気持ち」とあります。ここで重要なのが、積極的に進めようとする、という点です。

みなさんは積極的に進めようとすることって、何がありますか?生徒であればゲーム、テレビ、youtube…。保護者の方だと本当に様々だと思います。

で、生徒さんが積極的に進めようとすることは悲しいことに、保護者の方が望んでいないこともあるでしょう。例えば上記に挙げたものなど。。それでつい、「早く勉強しなさい!」「いつまでテレビを見てるの!?」など生徒のやる気スイッチではなく、保護者の怒りスイッチが入ってしまう悲しい結果に。。

でも冷静に考えてみると、生徒はそもそも何故それを積極的にやりたがるのでしょうか?もちろん好きだから、ということではありますが果たして最初から好きだったのでしょうか?

私がお伝えしたいのは、それをやってみてから好きになったのではないか、ということ。端的に言えば行動したから、ということになります。

やる気はそもそも、なくて当たり前

上記の観点から考えると、まずやってもいないことに対してやる気になることはありません。でも1度や2度行動したからと言って好きになるのでしょうか?個人差はあるものの、繰り返しているうちに好きになっていく、延いては繰り返してやっているうちに自分のなりの楽しさを見つけ、好きになっていくというプロセスを辿っていると私は考えます。究極的には習慣となったときに人はその物事を好きになる可能性が高くなる、と考えます。

もちろん、習慣となったもの全てが好きになるとは限りません。例えば歯磨き。中には好きでしている方もいるかもしれませんが、それは習慣になったから毎日できること。どちらかというと、習慣になっているから毎日していないと気持ち悪い状態になったからできることだと思います。「習慣になること≠好きになる」ですが、好きになると最高の状態だと言えます。

勉強も同じ。はじめのうちは三日坊主になることもあるでしょう。でも、それで良いのです。まずは行動したお子さんを褒めてください。1度転んだら起き上がる。2度転んだら起き上がる。少しずつで良いので転ぶ間隔が大きくなって良ければOK。重要なのは行動をすること。まずはこれだけで良いので、やってみることです。

やる気を引き出すには?

2で述べた内容が少しずつ定着してきたら、今度は意識することです。もちろん行動を起こしながら意識することが出来ればなお良いです。

ただ、1つ注意する点があります。それは行動に対して成果を求めないこと。勉強で言えば勉強したから成績がすぐに伸びる、ということには直結しないということ。人は見返りを求める性質があり、その見返りを成果にしてしまうと結果が伴わないときにやる気を失ってしまいます。なので、最初はその行動が出来た、次に繰り返しできた、そして早く出来るようになった、といったように見返りは小さくしたものの方がやる気は持続しやすいです。

同時に保護者も結果でお子さんを評価しないこと。具体的には日常の会話で自分の中でどう変わったのかを聞いてみてください。些細なことでも構いませんので、前よりも〇〇が出来た、という行動自体を認めてあげてください

まとめ

今回はやる気について簡潔ではありますが、お話をさせていただきました。やる気はもともとあるものではない。だからやる気に頼って勉強するのではなく、行動をしてその積み重ねをしていくことが重要です。最後に私の好きな言葉をひとつ。

努力は夢中に勝てない

少しずつ夢中になれるよう習慣化させていきましょう!

自己紹介

初めまして。

学習塾noticeの塾長を務める山城和之といいます。

 

誰だろう?と思われるので、

僭越ながらゆるく自己紹介をさせていただきます。

とりあえず、大学受験までどのような生徒だったのかを

お話ししたいと思います。

 

——————————————————–

 

自分自身の受験勉強を振り返った時、何をしていたかな~。

 

そもそも勉強、大っ嫌い。

だって他に楽しいこと、あるし。

 

勉強、嫌い

→やらない

→大好きなゲームor寝る

→親父、怒る

→やる気、下がる

→ますますやらない

→現実逃避が加速する

→\(^o^)/オワタ

 

 

こんな感じですw

しかも高校卒業するまで。

 

ただ、中学校まではなまじ成績が良かったこともあって、

自分自身の勉強に対する姿勢なんて

これっぽっちも振り返ることもしてない。

 

もちろん、まったくしていないわけでは無い。

ただ、質をまったく意識していない

ただ量をこなすだけの勉強。

ふと思えば当時親父から

「とにかく量をこなせ!」

 

みたいに頭ごなしに言われて

それを鵜呑みにしてやっていただけ。

 

中学校までは何とかなるかもしれないけど、

高校に行けば自分よりも優秀な人なんて

ごまんといるわけで。

 

ただ、過去の栄光にしがみつきがちで

余計なプライドはある。

酷いのが中学校の同級生が別の高校に進学して

同じ模試を受けていたから、

自分がそこにいたら○○番ぐらいの成績だから

そんなに悪くないじゃん、

という何とも残念なことを思うww

 

 

いやあ、ドイヒー(*_*;

 

——————————————————–

という惨状でした(笑)

 

思えば本当に中身の伴っていない

日々を過ごしていたな、と思います。

 

高校生の頃の私は、特に自分で決めた目標もなく

親の敷いたレールをただ走る、トロッコのようなものでした。

 

目の前にカーブが来たら曲がる。

分岐点があったらそれに従う。

 

親が進学しろ、というから受験勉強をする。

でも身が入らない。

 

もちろん、高校生の時点で目標が

全員決まっているわけではありません。

目標が定まっていなくても前に進める人もいます。

 

ただ自分は、

納得しないと前に進めない性分でした。

(今もあるので、少しずつ直します…)

 

でも今思うと、

目標を探すことは大義で、

本当は嫌いな勉強をするという現実から逃れたいための

「免罪符」を探していたに過ぎなかったかもしれません。

 

決まっていないから前に進めない。

決めないから前に進みたくない。

現状維持でいいや。

 

本当の自分はおそらく、

このような考えだったかもしれません。

 

高校生の自分は塾に通っていませんでした。

中学校は塾に通っていましたが、

その通っていた塾の先生から

「沖縄は良い塾がないから通わない方が良い」

という言葉を都合良く鵜呑みにして

現実逃避をしていました。

 

中学校は塾が自分を後押ししてくれたから

進学校に入れたけれど、

高校に進学して

自分一人で勉強する訳がありません。

 

 

…でも、本当は違う。

勉強ができて認められたい。

でもどうすれば出来るようになるのか、

分からない。

 

本当に量だけこなしていれば良いのか?

きっと、それだけではいけない。

でも、自分一人では分からない。

 

 

そう言った経験から

少しでも生徒の後押しができる塾を開きたい。

学生時代に、

「こういう情報を教えてもらってたらな」

「こういう考え方があったらな」

 

言葉には出ていなくとも

心のどこかで感じていた悩みを、

少しでも悩んでいる生徒と共有し

少しでも悩んでいる生徒の力になりたい。

 

 

―気づきの、向こう側へ―

 

 

これから迎える令和の時代に、

自分の新しい挑戦をしていきたいと思います。